無住心剣の研究blog (無想剣武術会 藤沢市支部)

針ヶ谷夕雲先生、小手切一雲先生らが残された「無住心剣/夕雲流」の事を掲載していきます。実際に稽古に参加をされたい方は、東京都、神奈川県で稽古を受け付けております。

極楽と地獄2(無住心剣を知るために)

極楽を知ることが、

無住心剣を理解する近道となります。

しかし、極楽へは死ななければ行くことが出来ません。

死ねば剣術どころではありませんし、

死ななければ極楽には行けない。

ではどうすれば良いでしょうか?

 

今回のお話です。

    

宗教家で研究者にX氏がいました。

X氏は研究の結果1つの悟りを得て、

以下の様な結論を出しました 。

    

「人は死んだら骨だけ。

人は死んだら ただのカルシウム。」

    

この文には続きもあり      

「学を修めようと、高い社会的地位にあっても、

莫大な財産を得ようとも 死ねば何もかも失う。

だから欲に囚われずに、悟りを得られるように日々精進をしなさい。

人が死んでも極楽浄土なんて行けない。

そんな場所は無いんだ。

嘘の教えが極楽浄土を作り、

そこに地位や財産を持って行けるかのような事を

説く者もいる。 そんなことない。

人は死んだら骨だけしか残らない、

人は死んだら ただのカルシウムだ。」
  
  
さてX氏に不幸が訪れます。
最愛の、自分の命よりも大切な愛娘が不治の病に倒れました。 
病名病状は末期ガンでした。
  
 
そして、臨終の間際。
娘「パパ・・・人は死んだら・・・・・どうなるの?・・・・」
X氏「・・・・・・・」

 
X氏は常日ごろから、極楽浄土なんて無い。
人は死んだら ただのカルシウム。
それを真理と語っていました。  
   
X氏は考えました。その間はほんの数秒だったでしょう。
しかし一生分に等しい時間を考えました。
人は死んだらカルシウム・・・・・・・・・
研究者としての信念を曲げられません。
いくら考えても調べても、それ以外の答えが無いのですから。    
そしてX氏はお嬢さんに答えました。
 
「人はなぁ、  
死んだら良いところ(極楽浄土)に行けるんだ。」  

 
   
「あ・りが・・とう ・・・パパ・・・・・・
私・・ 先に行って・・・パパを・・待っているから・・・・」
そう答えたのちに、安らかに旅立って行かれたそうです。   
              
これ以降、X氏は 二度と
「人は死んだら ただのカルシウム」
とは口にしなかった
 そうです。

      

悲しいお話ですね。

   

X氏の

「人は死んだら良いところに行ける」

これは嘘でしょうが、その嘘とは

義や信(まこと)で出来ています

また、この嘘によって

お嬢さんは、

極楽に行くことが出来ています。

 

つまり嘘の中に極楽がありました。

  

そして お嬢さんからの感謝。

この感謝の言葉で、

X氏もまた生きたまま極楽に行くことが出来ました。

人は自分が体験したことまで

否定をしません。

 

疑いはあっても否定は出来ないのです。

X氏は、感謝の言葉によって

確かに極楽に導かれました

   

そして真実である

「人は死んだらカルシウム」

にこそ地獄があることに

気が付かれたのだと思います。

  

時に、真実にこそ地獄があり

嘘から出た真実(まこと)のように

嘘の中に極楽があることも

仏さまが説かれております。

     

無想剣とは、仏の心。

このお話を、理解されたときに

無想剣を知ることが出来ます。